ウサギの耳

アイドルを消費しています。

天性と天職、虚像のアイドル

三宅健さんほど、天職がアイドルである人はいないと思う。彼は世界一アイドルを演じるのが上手い。演じ続けた結果、他者が彼を見て天性のアイドルであると錯覚してしまうくらいには。

 

例えばあなたの知り合いにイケメンや美女はいるだろうか。例えばその彼、もしくは彼女をアイドルとして応援してくださいと言われてあなたはそれが出来るだろうか。

 

アイドルとは偶像であり虚像である。アイドルは人が作り出した理想の具現であり、ただ顔が良いから、歌が上手いから、踊りが踊れるからといって簡単になれるものではない。私はたちはアイドルに完璧を求め、アイドルは自身が完璧であるかのように振る舞う。私たちはアイドルの魔法にかけられて彼らを応援することになる。

 

その魔法を初めからかけることの出来る人と、努力の末にかけることが出来るようになる人の二種類が存在する。前者の代表は森田剛さんである。彼は天性のアイドルの象徴であり、三宅健さんの対極に存在するアイドルである。

 

森田剛さんは感情の表現力が人並み外れている。歌、ダンス、演技、どれをとっても彼が評価を受けるのは、彼の表現力が化け物だからである。彼がAメロ職人と呼ばれたり、ここぞというときにカメラに抜かれたり、彼が笑っていることをスタッフが注目したりするのは、彼の並外れた化け物並みの表現力は、見ている人、聞いている人、つまりそのコンテンツを消費する我々に多大な影響を与えることを知っているからである。この表現力から生み出される影響力こそが、彼が初めから魔法をかけられる天性のアイドルである理由である。

 

では三宅健さんはどうだろうか。彼はとにかく努力の人である。ビジュアルがずば抜けていたがゆえにJr.時代にダンスレッスンをさせてもらえず、その後自身でスクールに通いダンスを磨いたり、聾者の方に手話で話しかけられて何も返せなかったことを悔やみ、独自に手話を学んでとうとう手話の番組でパーソナリティになったり、彼自身の努力を示すエピソードは沢山ある。私たちはその努力している姿を見て、彼に夢を抱くようになる。その夢は、彼の努力によって彼自身が見せてくれる魔法であり、彼が元々持っていたものではない。

 

彼が自身の努力を通してファンが自分をアイドルとして認め、応援してくれるようになったと気付いた時、彼は自身の天職にアイドルを設定し、その為の努力を怠らないようになったのだろう。活動していくにつれて、彼がファンとV6をつなぐ中継役を担うようになっていったのも、彼が努力の末に見つけた魔法のかけ方なんだろう。

 

つまり三宅健さんは、アイドルになる努力をして自分なりの魔法のかけ方を見つけたのだ。彼自身も言っているようにアイドルは虚像、彼が努力して得たその魔法こそ虚像の中身。彼は今でもその虚像を強固になものにし、私たちにアイドル・三宅健の夢を見せてくれている。

歪な六角形が正六角形になり円へと変化する話

集められた理由、選ばれた理由、そこに立つ理由、多分全部バラバラで全部統一性がなくて、この6人である意味すら捉え方はバラバラで、デビュー当時のV6はそんな歪な六角形だったように思える。歌はトニセン、人気はカミセン、アイドルという物に対する捉え方も全員バラバラ、トゲトゲでオラオラでとにかくがむしゃらな歪な六角形。

 

彼らは成長していく過程でバラバラなままに自身の位置を考え出す。与えられたV6という居場所を、自身という物がありながらも心地の良い、形の綺麗な物にしようと。彼らはいつしかとても綺麗な正六角形に成る。バラバラで、個性が強くて、職人気質な彼らはいつのまにか歪な六角形を綺麗な正六角形に変えてしまったのだ。

 

彼らは今、綺麗な円に成ろうとしている。円の中にファンと、自分たちと、V6を構成する全ての要素を入れたまま、6人で手を繋ぎ綺麗な円に成ろうとしている。泣いている、寂しがるファンに優しく寄り添い、最後のその時までV6を全うし、26年という月日をとても綺麗な円の宝箱に仕舞おうとしてくれているのだ。

 

まだ、彼らは進んでいる。私たちの涙を曲と言葉で拭いながら、宝箱の中に新しい物を仕舞い続けようとしてくれている。最後の1ピースを宝箱に仕舞ったら、いつでも好きな時に開けることのできる鍵をかけて、それぞれに思い出という形でプレゼントしてくれるのだ。

 

宝箱はいつでも開けられる。楽しい時、辛い時、哀しい時、仕事中でも勉強中でも、開きたくなったら開くことができる。宝箱に新たに何かが入ることはない。でも、私たちはその宝箱を抱いたまま、それぞれの電車に揺られて次の場所へと進んでいくことができる。

 

私たちは宝箱を開く度にV6を思い出せる。V6は無くなるのではなく、永遠に、綺麗なままで、そこにあり続けることができる。

 

これは私の感想で、私のエゴで、私がこう思うことによって少しだけ心が軽くなるから書いたものである。最後の日を迎えた時、最後の瞬間を迎えた時、流すであろう涙が少しだけ減るように、あと数日を全力で生きていきたい。